今年度、我々同級生たちは、いよいよ還暦を迎えます。その記念として、数年前から進めてきたのが、今回の企画です。
高校生活にも慣れたころ、同じクラスに好きな女子ができました。ボクたちの学年から、入学時に美術、音楽そして書道を選択する方式が新たに採用されて、結果、クラス替がありませんでしたので、その子はやがて、卒業までの3年間ずっと想い続ける、ステキな人となるのです。
高校1年の春休み、後に生涯の真の友人となる、中学からの友2人と一緒に、とある町を訪れました。そう、想い人の住んでいる町です。彼女がどんな空気を吸い、どんな街で生活をしているのだろうと、ただ、ただ純粋に思い、訪ねたのです。もしかしたら、「買い物に出たあの子に出会うかもしれない」、「なぁ~んてね」でも、もしも・・・だから、そんな時の保険として、3人で行ったのかもしれません。そんな16歳の春の探検の途中で撮影したのが、この写真です。穏やかな日差しの午前中、人生を1日に例えるなら、16歳はまだ夜明けですもの。
でも、実は、想い人は、すでに休み中に引っ越していたのです。今では考えられませんが、家族全員の名前と、引越し先の住所がポストに貼られていて、まるで、追えば逃げる夢のように。もちろん後日、ポストの指令に従い、引越し先を訪ねましたとも(笑)。
そして撮影は、このカメラで。ツアイス イコンタ524/2、日本では、メス イコンタ6×9と呼ばれています。メスとは、測定するという意味の接頭語で、理科室においてある、メスシリンダーと同じ意味で、このカメラの場合では、距離計が付いていることを表しています。
イコンタは、第二次大戦前から、戦後にかけて、ツアイス イコン社が製造した、蛇腹を用いたスプリングカメラで、距離計を持たないものをイコンタ、非連動距離計のモデルをメス イコンタ、連動距離計を持つものはスーパーイコンタとよばれています。メス イコンタは、戦後の1951年から、数年間製造された、スプリングカメラとしては、末期のモデルです。
前にもお話しましたが、このカメラは父の遺品でもあります。もちろん当時、父は健在で、写真好きの息子にあげたとはいえ、自分が昔使っていた時代遅れのカメラを持ち出す我が子を、いぶかしく思ったに違いありません。カメラには、ほとんど興味がなかった父ですが、ツアイス オプトンのテッサー 105mm f3.5T(コーティングあり)、シャッターはシンクロ コンパー、と最高機種です。
そして、同じ場所で、同じ仲間で、同じカメラで、「44年の時間を超越して撮影をする」というのが、今回の企画です。
ただ、変貌しつづけるのが都会の常。はたして、同じ場所を特定できても、今も線路や橋が存在するのか、おおよその場所は記憶にありますが、ピンポイントではありませんので、橋と線路を参考に候補地を絞ります。路線は東急・池上線と判明、ただ、しばらく前に殆どが地下化されていました。地下鉄では、撮影は絶望的です。しかし、友人がストリートビューを駆使して、場所の特定に成功、幸い撮影地は、地下に入る少し手前であることが確認できました。
44年の歳月を超えて撮影された写真です。人生時計でいうと、午後6時。日の入りの時刻です。有り余る時間を持て余していた、16歳の春の列車は、始発駅から出たばかりの下り電車を撮りましたが、「今日はまもなく終点の上りを撮る」、と初めから決めていました。一目瞭然ですが、事故防止用のパンチングメタル製の高い柵が作られていました、そんな時代なのですね。この柵のほんの少し先に、写真を撮るために44年前、たしかにカメラを置いた、コンクリートの支柱があるのです、でも、今は届かない。ほんの15センチ先なのに、届かないのです。
44年前には、同じ場所で同じ仲間と、再び撮影するなんて、思いもしなかったけれど、
人生で出会う、本当の友人は少ない、というけれど、
人生で出会う、本当の友人は少ない、というけれど、
50年近くも前に、真の友に出会えた奇跡と皆の健康に感謝して、メザミ。